『 境界のミチカケ』
『 KYOKAI NO MICHIKAKE 』
2020.10.3-10.25
2kw gallery (滋賀) (Shiga)
◾️以下リンクにて、360°ビューイングで展覧会の様子をご覧頂けます。














Photo by Ayumi Okamoto
個展「境界のミチカケ」に寄せて
江上 ゆか 氏(兵庫県立美術館学芸員)
鮫島ゆいの絵は、眼前の事物や風景をそのまま再現したものではなく、ある種、抽象と言えるだろう。とはいえ生々しい筆あとをたどれば葉っぱや顔のようなものも見え隠れして、画面の中の世界が見る人の側にも否応なくはみ出し関わってくる。同時にシャープなベタ面やグラデーションはあくまでも2次元であることを主張し、イメージがぺったりと脳裏に貼りつくかのような触覚的印象をも残す。
近作の継ぎはぎのような画面は、まずは木片や造花など卑近な事物を組み合わせて立体物をつくり、描くことから始まるという。さらに実在しないイメージをも組み合わせ、またばらすことによって、画面は構成されてゆく。
きっかけとなる立体物を鮫島は依り代と呼ぶ。つまり、そもそも彼女が出発点とするモノは、現に目の前にありつつ、見えないむこう側にも関わっている。具象と抽象、実体とイメージ、日常と非日常、この岸とむこう岸。それぞれに境界の満ち欠けは違えども、そのどちらでもあるような断片を継ぐことで、画面は不確かなままに安定する。西洋絵画の王道の、観者と対峙し圧倒するような強さとはまた異なる、奇妙な強度がそこには生じている。
展覧会評
安井 海洋 氏(高松市やきものの里かわら美術館学芸員・美術批評)
正三角形の変形パネルに描かれたイメージは、人型の像など具象的なモチーフが描かれたものと、色彩の帯と白の下塗りとからなる幾何学的な形態とに大きく分かれる。幾何学的な形態は画面の下方に視線を導くよう構成されており、輪郭に沿って視線を落としていくにつれて描かれた面が徐々に狭く引き絞られていく。そしてその運動と相反して三角形の支持体は上から下へ開放されていく。
イメージの構図と支持体の形状が二つの拮抗するエネルギーを表象するのである。 絵具はごく薄塗りで、層の重なる部分が少ない。レイヤーを重ねたイメージは一見するとコラージュを参照したかに思われるが、仔細に眺めればそこに絵具が前後に重なる関係性はなく、むしろ上下左右に展開されているといえよう。
色彩の帯はマスキングテープを用いて直線に、また筆触を残さないよう描かれている。絵画から人為の痕跡を消す描法は、筆触を重視する絵画史に対抗するかのようだ。
また支持体の綿布はキャンバスよりも薄くて布目が細かく、そこに支持体があるという存在感を潜めている。緻密に計算された視線誘導といい、鮫島の作品はおよそ一切の偶然性を許容しない厳粛な態度に貫かれている。
展覧会評
林 葵衣 氏(美術家)
万華鏡を解体して円筒の中を見たことはあるだろうか。
中には長方形の薄い板状の鏡が複数枚、組み立てられて入っている。
円筒の先を光へ向けて覗くと筒の中では両隣の鏡が反射しあい、入っているモチーフの形が永久的に連続して映し出される。
10月18日午前、2kwギャラリーにて開催された 鮫島ゆい 個展「境界のミチカケ」に訪れた。
会場の入口を開けると1Fには大小様々なサイズの絵画が立ち並んでいる。キャンバスの形は正三角形もあれば一つの頂点が極端に尖った割れガラスのような形をした作品「呼び継ぎ(木の木乃伊)」もあった。
入口すぐ右手にある正三角形のキャンバスに描かれた「呼び継ぎ(祈りを呼ぶ地層)」を眺める。
キャンバスを切るように分割された色面と、絵具をぶ厚く重ね筆跡をわざと残し、描かれたモチーフの境界を打ち消すかのようなタッチが共存する一枚の平面は、人間の眼がとらえる情報より多くの事象(たとえば時間や重力)を捉えようとしているように見えた。
2Fの展示室に上がる途中、階段の右手脇にある棚に置かれた小さな立体に心惹かれた。
タイトルは「Untitled」、作品解説には”立体スケッチ”とある。黒い石が2つ、絶妙なバランスで積まれている。2つの石の間には正方形にカットされた麻のような素材の布が挟んである。2つの黒い石の上にはそれらより少し小振りな三角の白い石が帽子のようにちょこんと乗っている。石を3つ積んだシンプルな立体は、地蔵のように見えた。
鮫島の手によってそっと積まれた石の向こうには得体の知れない畏怖のような、救いのようなものを感じた。
その理由は作家自身の制作コンセプトを拝読した後であることの他に、石で出来た立体が人の手のひらに収まる小ささであること、どこにでもある身近な素材によって作られた細やかな気配にあるように感じられた。
階段を登りきると平面作品と、開けた窓のある2Fの展示室へたどり着く。やや高めの天井に小さな天窓がついている明るい空間だった。
2F奥の壁面に展示されている作品「呼び継ぎ(木馬)」には、木馬の残像のような茶色の色面、植物のツタを思わせる緑、こげ茶色の線のうねりが描かれている。
様々な角度からの作者の視点を取り込む装置でもあり、鑑賞者の想像力を誘発する鏡としても機能する鮫島の平面作品と対面すると、自分が今立っている空間がねじれるような独特の感触が起こる。
作品と対面する鑑賞者自身も鏡の反射対象になっている。
つまり万華鏡を覗き込んだときに見える風景や反射の美しさ、鑑賞者自身でさえも、まるで筒の中に踏み入っていくように自由な方向から眺めることができる。
鮫島の作品をずっと眺めていたくなる理由は、様々なプリズムが生み出す空間のねじれを鑑賞者の脳へインストールしようとするからなのかもしれない。
プリズムの痕跡が鮫島の平面作品に留められているとした時に、みえざるものとはなにか。
物理的にみえない、気がつかない微かなもの、些細な気配が私たちの身の回りには多くあり、それらから私たちは知らずのうちに大きな影響を受けている。
小さな石が積みあげられた立体作品「Untitled」から受けた畏怖、救いといった印象から推測するに、鮫島の平面作品、立体作品両者は補完関係にある。
鮫島の平面作品がみえるものへの新しい視野を映し出す鏡であるならば、立体作品はみえざるものへの思考力を誘発する装置である。