2023. 9
ARTISTS' FAIR KYOTO 2024 推薦文
中井 康之 氏(国立国際美術館 学芸課長) 

新たな「キュビスム」の煌めき
鮫島ゆいの作品と出会った時に思い起こしたのは「キュビスム」という20世紀美術を代表する様式であった。同時代に生み出された様々な新しい動向は、1つには「未来派」や「シュルレアリスム」のような論理的な方法論に基づいた動向、もう1つには「フォーヴィスム」や「抽象表現主義」のように、ジャーナリズムや美術批評家が同時代の動向を代弁したものである。「キュビスム」はどちらでもない。20世紀初頭、ピカソとブラックという異端の作家が未知なる表現を希求した痕跡なのである。その轍には未踏の原石が隠されている。鮫島は、その貴重な原石の1つを発見し、色鮮やかに煌めく宝飾として呈するのである。


2023. 3
ACT (Artists Contemporary TOKAS) Vol. 5 「引き寄せられた気配」レビュー
辻 真木子氏(トーキョーアーツアンドスペース)

鮫島は、「見えるもの」と「見えないもの」をつなぐ、あるいはその両者の境界を示すことをテーマに絵画表現を中心とした作品制作をしている。
「見えないもの」とは、古来、存在すると信じられているが目に見えないもの、その概念自体を指しており、信仰とは何かと自問しながら、視覚芸術における不可視のものを表現するべく模索している。
鮫島は手に取ることができない対象を描く際、イメージを膨らませるために、小さな立体を制作する。
それを神霊が住まうところを意味する「依り代」と呼び、そこに宿るものを捕捉し、身体的な解釈から二次元へと再構成を試みている。
しかし、絵画に正直でありたいと語る鮫島は、未知のものはそのまま曖昧に、実際に実物を見たものは、より細かく描き込んでいき、解像度の異なる描写を同一画面に混在させる。
本展で発表した作品の中心を占める絵画シリーズ「呼び継ぎ」も、見えないものの存在を想起させる手法のひとつであり、異なる歴史や物語を持った断片的なイメージが組み合わさった画面が特徴的だ。
呼び継ぎとは、破損した器を異なる器の破片とパッチワークのようにつなぎ合わせ、新たな器として再生する金継ぎ技法の一種である。元通りに修復するのではなく、模様も形もさまざまな欠片をつなぎ合わせるため、思わぬ形になる面白さがある。鮫島の不定形なキャンバスや画面内にある何も描かれない白い空間は、まさしくそのイメージだろう。
鮫島は本展の制作にあたり、遺跡や歴史的建造物などが地図上で一直線に配置されていると提唱する学者の仮説「レイライン」を参照した。作品はポンペイの遺跡や古代エジプトのファラオなど、出自の全く異なる題材を描いているが、これらも個々のピースがどこかでつながり、1枚の大きな絵画となるように構成した。例えば、同じタイトルを冠する《呼び継ぎ(memento/blue)》は、片方の作品の余韻でもう一方の作品を仕上げ、共通のイメージを有している。そして、《呼び継ぎ(古い直線路)》の画面内の空白と、その隣に展示した《呼び継ぎ(アトランティスの船)》のキャンバスの形がパズルのようにぴったりとはまる仕掛けになっている。その先に何かがあるかもしれないという状況を生み出し、想像の余地を残すことで、描かれていないものを手繰り寄せようとしているのだ。
今回、鮫島は久しぶりに立体作品を発表した。制作過程でどうしても生まれてしまう作品未満のものをどうにか供養したいと思っていたという。作品になれなかった絵を切り抜き、縫い合わせて蜜蝋を塗り、実際のミイラの作り方と同様の工程を踏んで《絵の木乃伊 ミイラ》を作り上げた。
生まれなかった絵画に形を与える――バラバラに死んでしまった器を、誰かの意思によって新しく生まれ変わらせる。鮫島の作品の根底にはこうした死生観があり、制作することで祈りを捧げている。


2023. 3
ARTISTS' FAIR KYOTO 2023 推薦文
名和 晃平 氏(美術家) 

鮫島は、自ら制作する小さな立体物を「依り代」に、そこから派生するイメージを組み合わせて絵画を制作している。 具体的な何かを示していると思しき形から、抽象的な幾何学形態まで様々なものが、せめぎ合い、浸食しあい、多様な境界を築いて1つの画面の中に混在するさまは、見えるものと見えないものが等価に共存する混沌とした世界のありようを描いているように見える。 大きなサイズ、中くらいのサイズの絵画の方法論がとても良く、絵と絵の間の空間のことも考えて描ける作家だ。色もストロークも刹那的で抽象化された感覚が美しい。


2021.10
個展「もつれるルーパ」に寄せて
安井 海洋 氏(美術批評) 

鮫島ゆいの絵画は断片を組み合わせるようにして構成される。作家が「呼び継ぎ」と呼ぶこの手法を通して、異質なものが画面上に混在する。うねる描線やドレープ状に垂れる帯などの、どろりとした流体のイメージが、マスキングテープによる断片の境界線に癒着する。
これらのもつれあう色形を、変形カンヴァスの縁が切断する。まるで一点一点の作品が、どこかから切り出してきたものであるかに見える。カット&ペーストと呼ぶにはあまりにも生々しい、切断と癒着が絵画を成立させている。
砕けた人体彫刻のように、断片は未完成のまま完成に至ることがある。鮫島の作品の場合も、それだけで完成していながら、変形カンヴァスの外側に続く存在を想起させもする。抽象表現主義の絵画が支持体を大きくしたのとは対照的に、サイズそのものが標準的だとしても、想像上のイメージはどこまでも膨張するのである。


2020. 10
個展「境界のミチカケ」に寄せて
 江上 ゆか 氏(兵庫県立美術館学芸員)

鮫島ゆいの絵は、眼前の事物や風景をそのまま再現したものではなく、ある種、抽象と言えるだろう。とはいえ生々しい筆あとをたどれば葉っぱや顔のようなものも見え隠れして、画面の中の世界が見る人の側にも否応なくはみ出し関わってくる。同時にシャープなベタ面やグラデーションはあくまでも2次元であることを主張し、イメージがぺったりと脳裏に貼りつくかのような触覚的印象をも残す。
近作の継ぎはぎのような画面は、まずは木片や造花など卑近な事物を組み合わせて立体物をつくり、描くことから始まるという。さらに実在しないイメージをも組み合わせ、またばらすことによって、画面は構成されてゆく。

きっかけとなる立体物を鮫島は依り代と呼ぶ。つまり、そもそも彼女が出発点とするモノは、現に目の前にありつつ、見えないむこう側にも関わっている。具象と抽象、実体とイメージ、日常と非日常、この岸とむこう岸。それぞれに境界の満ち欠けは違えども、そのどちらでもあるような断片を継ぐことで、画面は不確かなままに安定する。西洋絵画の王道の、観者と対峙し圧倒するような強さとはまた異なる、奇妙な強度がそこには生じている。


2020. 10
個展「境界のミチカケ」に寄せて
安井 海洋 氏(美術批評) 

正三角形の変形パネルに描かれたイメージは、人型の像など具象的なモチーフが描かれたものと、色彩の帯と白の下塗りとからなる幾何学的な形態とに大きく分かれる。幾何学的な形態は画面の下方に視線を導くよう構成されており、輪郭に沿って視線を落としていくにつれて描かれた面が徐々に狭く引き絞られていく。そしてその運動と相反して三角形の支持体は上から下へ開放されていく。
イメージの構図と支持体の形状が二つの拮抗するエネルギーを表象するのである。 絵具はごく薄塗りで、層の重なる部分が少ない。レイヤーを重ねたイメージは一見するとコラージュを参照したかに思われるが、仔細に眺めればそこに絵具が前後に重なる関係性はなく、むしろ上下左右に展開されているといえよう。 
色彩の帯はマスキングテープを用いて直線に、また筆触を残さないよう描かれている。絵画から人為の痕跡を消す描法は、筆触を重視する絵画史に対抗するかのようだ。
また支持体の綿布はキャンバスよりも薄くて布目が細かく、そこに支持体があるという存在感を潜めている。緻密に計算された視線誘導といい、鮫島の作品はおよそ一切の偶然性を許容しない厳粛な態度に貫かれている。


2021. 2
雑誌 美術手帖 「2020年代を切り開くニューカマー・アーティスト100」特集 推薦文
鈴木 俊晴 氏(豊田市美術館 学芸員)
 
「依り代」をつくり、それを用いて絵画を描き、此岸と彼岸とを接続しようと試みる。
幾何学的な形に突き刺さるシールド。黒い、闇夜のような色面。そうした組み合わせによって出来上がる作品は、たとえ小さなものであっても不思議な密度をもって、あまりに明るすぎるこの時代に稀有な暗がりを差し出している。
ここ最近に現れた多角形の支持体は、無機質な白い壁面に捉えられて効果的にも複数の次元をないまぜにする。
その暗さと造形との組み合わせを、(セルフ)オリエンタリズムやジャパネスクといった諧謔的批評性とは一線を画す切実な表象と見たい。


2020. 10
個展「境界のミチカケ」レビュー
林 葵衣 氏(美術家)

万華鏡を解体して円筒の中を見たことはあるだろうか。
中には長方形の薄い板状の鏡が複数枚、組み立てられて入っている。
円筒の先を光へ向けて覗くと筒の中では両隣の鏡が反射しあい、入っているモチーフの形が永久的に連続して映し出される。
10月18日午前、2kwギャラリーにて開催された 鮫島ゆい 個展「境界のミチカケ」に訪れた。
会場の入口を開けると1Fには大小様々なサイズの絵画が立ち並んでいる。キャンバスの形は正三角形もあれば一つの頂点が極端に尖った割れガラスのような形をした作品「呼び継ぎ(木の木乃伊)」もあった。
入口すぐ右手にある正三角形のキャンバスに描かれた「呼び継ぎ(祈りを呼ぶ地層)」を眺める。
キャンバスを切るように分割された色面と、絵具をぶ厚く重ね筆跡をわざと残し、描かれたモチーフの境界を打ち消すかのようなタッチが共存する一枚の平面は、人間の眼がとらえる情報より多くの事象(たとえば時間や重力)を捉えようとしているように見えた。
2Fの展示室に上がる途中、階段の右手脇にある棚に置かれた小さな立体に心惹かれた。
タイトルは「Untitled」、作品解説には”立体スケッチ”とある。黒い石が2つ、絶妙なバランスで積まれている。2つの石の間には正方形にカットされた麻のような素材の布が挟んである。2つの黒い石の上にはそれらより少し小振りな三角の白い石が帽子のようにちょこんと乗っている。石を3つ積んだシンプルな立体は、地蔵のように見えた。
鮫島の手によってそっと積まれた石の向こうには得体の知れない畏怖のような、救いのようなものを感じた。
その理由は作家自身の制作コンセプトを拝読した後であることの他に、石で出来た立体が人の手のひらに収まる小ささであること、どこにでもある身近な素材によって作られた細やかな気配にあるように感じられた。
階段を登りきると平面作品と、開けた窓のある2Fの展示室へたどり着く。やや高めの天井に小さな天窓がついている明るい空間だった。
2F奥の壁面に展示されている作品「呼び継ぎ(木馬)」には、木馬の残像のような茶色の色面、植物のツタを思わせる緑、こげ茶色の線のうねりが描かれている。
様々な角度からの作者の視点を取り込む装置でもあり、鑑賞者の想像力を誘発する鏡としても機能する鮫島の平面作品と対面すると、自分が今立っている空間がねじれるような独特の感触が起こる。
作品と対面する鑑賞者自身も鏡の反射対象になっている。
つまり万華鏡を覗き込んだときに見える風景や反射の美しさ、鑑賞者自身でさえも、まるで筒の中に踏み入っていくように自由な方向から眺めることができる。
鮫島の作品をずっと眺めていたくなる理由は、様々なプリズムが生み出す空間のねじれを鑑賞者の脳へインストールしようとするからなのかもしれない。
プリズムの痕跡が鮫島の平面作品に留められているとした時に、みえざるものとはなにか。
物理的にみえない、気がつかない微かなもの、些細な気配が私たちの身の回りには多くあり、それらから私たちは知らずのうちに大きな影響を受けている。
小さな石が積みあげられた立体作品「Untitled」から受けた畏怖、救いといった印象から推測するに、鮫島の平面作品、立体作品両者は補完関係にある。
鮫島の平面作品がみえるものへの新しい視野を映し出す鏡であるならば、立体作品はみえざるものへの思考力を誘発する装置である。


2013.6
個展 TWS-Emerging 194 「pipe dream」レビュー
住吉 智恵 氏 (アートプロデューサー) 

若きシュルレアリストの誕生である。
オートマティズム的手法を応用し、感覚上で湧きおこるイメージと、理性的なアプローチでつくりあげたイメージとを脳内でコラージュし、1つの絵画世界を構成しようとこころみる。
作家はその手順を、中世の錬金術師の施す、怪しげな錬成の営みになぞらえる。
錬金術は、科学史に成果を残しながらも、神秘主義や魔術の隠れ蓑にも使われたといわれ、暗黒の中世に咲いた魅惑のあだ花ともいえよう。
卑金属を貴金属に変えるだけでなく、対立する物質同士を結合させ、果ては永遠の生命に至る「完全無欠なもの」を生成しようとしたとい うから、現代人からみれば壮大な妄想である。
一方でそこには神に代わって世界を完成させようとした、人間の探究心の究極があった。
鮫島がめざす到達点もまた、彼女自身の意識下に獏として存在する世界観の完成にある。
ホムンクルスという、すでに歴史的に朧げな輪郭のあるイメージを透かして見せるポーズをとりながら、独特の造形センスで、巧みに実体をわからせない。闇の中に置いてけぼりにされることは絵画の魅力の1つであり、謎めいたモチーフや画面構成に鑑賞者は心惹かれるのだ。
「モノクロームの夢を見る」(作家談)ように、グレイトーンの画面にちらりと入った挿し色が、本当に見たいものの手がかりとなるという色彩の実験も、巧くコントロールされたなら、よりシュッとした、洗練された絵画世界を精製できるはずだ。 

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